税理士試験、初めての受験は、平成18年(2006)の第56回試験でした。
今から15年ほど前のことです。
年齢でいうと、27になる歳です(試験日時点では26歳です)。
20代で受け始めたのですが、合格することができませんでした。
初めて合格通知を受け取ったのは、35歳(36歳になる年)のときです。
本日は、自分の振り返りも兼ねて、受からなかった20代と受かり始めた30代、何が違ったのか記事にしたいと思います。
(テクニカルなことではございません、あしからず)
ステージに立った回数
まず、違うのは、受験した回数です。
20代が2回だったのに対して、30代では5回、試験会場に足を運んでおります。
受験したところで受かるかどうかもわからないのに、受けもしてないわけですから、当然といえば当然なのですが。
気持ちが入っていなかった20代の頃は、何かしら、行けない(行かない)理由をみつけて受験から逃げていたように思います。
「勉強できてないし、行っても、旅費がもったいないし…行かない方がいいよね、もったいないし…」とか、言ってた気がします…
20代最後の受験と、30代最初の受験は、本当にノー勉強での受験でしたので、その2回を外すと、7年間受験から離れてしまいました。
タラレバを言っても仕方ないのですが、あの時、もう少し真剣に取り組んでいれば、ちょっとは違ったのかもしれません。
期限を決めた
税理士試験への再チャレンジの理由の一つに、娘の誕生があります。
そこで、娘の年齢で、期限を決めることにしました。
「娘が小学校に入学するまでに税理士になる」と。
まあ、無理そうなら、延長しようと思っていたのですが、、
実際、大学院の留年が決定した頃には、
「小学校1年生のうちに・・・」に変更しました。
免除決定通知がなかなか届かないので、再延長になるかヒヤヒヤしていましたが、ギリギリ間に合いそうです。。
思えば、20代の頃は、本当になんとなく受験しておりました。
私の場合、自分一人だとだらけてしまいますが、誰か別の対象が基準となると違うのかもしれません。
学校を変えてみた
当初、TACの通信だったのですが、再チャレンジ後は大原にしてみました。
これは、TACがダメで大原がいいとか、そういうことではありません。
単純に、新しい環境で、心機一転やってみるというのは、一定の効果があったように思います。
学校がどうのこうのではなく、やはり自分のやる気次第なのだと感じます。
受験地を変えてみた
正確には、30代の途中からですが、受験地を福岡県から熊本県に変更してみました。
これも、上記と理由は一緒で、違う環境で臨みたいという思いからです。
熊本県に変えた年に、初めての合格科目をゲットできたので、それからは験を担いで、以後2回は熊本での受験です。
プラスで良かった点は、受験者数が熊本のほうが少ないので、試験会場での混雑具合はだいぶ違ったように感じます。
気持ち、ゆったりゆっくりできたような。。
ペンの色を変えてみた
税理士試験は、黒か青のインキ(ボールペン含む)を用いなければいけません。
これも正確には30代の途中から変更したのですが、以前黒のボールペンを使用していたのですが、好きな色、青だし、青にしてみようと変更したところ、初めての合格を手にしたので、これも験を担いで、以降は青です。
これも上記2つと一緒で気分の問題です。
ただ、好みによると思いますが、問題用紙に書き込んだ際、青のほうが目立っていいなとも感じました。
言葉を変えた
これまで、「簿記論に合格したい」という表現だったのを、「税理士になる!」に変えて、尚且、それを同僚やお客様に公言することにしました。
やや、精神論的な話になるかもしれませんが、言葉には力があるなと感じます。
これも好みやタイプにもよると思いますが、周りに公言することで、外からのプレッシャーも感じるようになります(自分が思うほど周りは期待してなかったと思いますが)。
不言実行で、黙々とやれればいいのですが、私は周りの力に頼ることにしました。。
「税理士になる!」に変えたことで、税理士試験の科目合格だけを狙うのではなく、大学院の入学も早いうちに検討したように思います。
まとめ
振り返ってみると、色々と変化しておりますが、一気に変わったのではなく、必要に応じて、変わっていったように感じます。
一番の変化は、メンタルの部分ではないかと自分では思います。
「税理士になる」という言葉・気持ちの変化が大きいですね。やっぱり。
そして、そういう気持ちにさせたのは、なんだかんだで娘の誕生なのかもしれません。
実際、合格し始めたのは、娘が生まれたあとからのことですから。
娘は、「ぜいりしってなん?」って感じですが、徐々に説明していきたいと思います。。